ぼくの見ていた風景



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ぼくの見ていた風景



きのうに続いて『嵐』特集?っておもわれたみなさま。
笑、ざんねん、ちょこっとはずれです。
でも、半分は合ってる?かな。



この冒頭のおしゃしん、
いま展示中のmic's photo worksのDMのおしゃしん。
DMを真上から物撮りしただけのもので、歪んでるし、斜めだし、載せないほうがいいなぁ、、、って毎回おもいつつ。(やっぱり写真展はあれこれ前知識・前情報があるより、さらの状態で見ていただきたいから。
この物撮りDMできょうのとこは、ごめんごめん。)



mic(みきちゃん)のおはなしは、ほんとは前にもしているのです。
去年のなつ。
HBひびきちゃんとみさちゃんのなつの絵本展のいちにち。
英語で絵本をあそぶ会があった。
その英語の先生がみきちゃんでした。



もちろん、そういうわけで、みきちゃんは英語も堪能(というか、ネイティヴみたい)。
で、また英語の会もやろうねやろうね、、って前々から言ってた。こどもたちばかりじゃなく、おとなのための英語の会とかも。みきちゃんもアイディア出してくださったり、そのおはなしもぼちぼちすすんではいたのだけど。



ある日、みきちゃんがとつぜん、たくさんのおしゃしんを抱えてきた。



英語じゃなくって、写真なんだけど、、、って、みきちゃんが申し訳なさそうに言うの。
その謙虚さがまた、みきちゃんらしかった。
でも、もちろん、誰でもその人の中に、たくさんたくさんのせかいがあって、たくさんたくさんの可能性を抱いていて、そのひとつひとつがだいじなのだ。どれがいい、どれが上、とかじゃない。
せかいのあちこちを旅してきたmicにとって、写真と英語と、どちらが上とかでは、もちろんない。
どちらも彼女がじぶんを表現するために必要だった、
そして、振り返って、じぶんを確りとあらわしてくれただいじなものなのだ。


そして。
旅の途中、
みきちゃんのこころを捕らえた風景たちは、
広大なあさひや、あおいあおい空や海や雲や風。
まぎれもなく、ひろいひろい「せかい」です。

あぁ、micらしい!とおもいました。


すがすがしい。

あぁ、でも、すがすがしい、じゃとっても足りないなぁ!

なんというのだろう?
凛とひとり立って、ピリッと背筋を伸ばした誠実な、清潔な、綺麗な、せかいです。

汚いところがひとつもない。嘘の欠片もない。

真夏のあおぞらのように、アイロンをかけたしろいコットンのシャツのように、
すみずみまで嘘のない、濁りのない、曇りのない、誠実さ。



なにかに似ている、とおもったら、あぁ、それは少年の日の風景なのでした。



おもしろいことに、このmicの写真展を見て、「おとこのこの作品ですよね?」とおっしゃるかたが多い。
それも、写真を見る機会の多い、出版とかテレヴィ業界のような職種のかたが、
みきちゃんの写真を見て、若い男性の写真展だ、と勘違いなさるのだ。

いいえ、若くて可愛くって美人のおんなのこの作品ですよ、とわたしは笑いながら答えるけれども、
わかるわかる、そうよねぇ!っておもっている。
そう、micの目線は穢れのない少年の目線だ。



こんなふうに少年扱いされて、おとこのこ呼ばわりされて、
可愛い華奢なみきちゃんは憤慨なさるかもしれないけど、
うん、前々からおもってたんだ、みきちゃん、きみは少年のこころを持った少女だぜ。



少年と少女の違い。
そりゃぁ、もちろんまずは個体差、個性?というようなものがあって、のはなしだが、
定義としての、少年は少女よりもずっと穢れがない。



定義として。

少女の魅力・少女のかけがえのなさ、のようなものは、
そのずるさ、とかエゴイスティックな、残酷な残虐なところにおおいに帰依している。
こんなこと言うと、ええぇ~~っ!って大反対されちゃうかもだけど、
間違いない。
とんでもなくエゴイスティックで残酷で、うつくしい???少女だったわたしが言うんだもの、
ほんとなの。
だって、残酷でない少女なんてぜんぜんいろっぽくない、うつくしくないじゃない?



反対に、(定義としての、、だけど)
少年はもっとピュアだ。


もっとピュア、というのは、だんぜんおバカ、ともいえるんだけど、
純粋で、利己的でなくって、たんじゅんにまっすぐで。
少年はまっさらなイメージ。
まっしろ。
まっさお。
透き通っている。


わたしが女性だから、そうおもうのかもしれないけれども、
少年ってそういう生きものだ、とおもう。

だから、男性であってもいちども少年になりえなかったひともいらっしゃるだろうし、
少年のまま年をとるかたもいらっしゃるし、
少女なのに少年ぽいひともいる。



mariaco marinaの周りには、じつは、少年ぽいかたも多くって、
HBひびきちゃんもそうだし、UちゃんOさん、今年80歳になられるわたしの大好きなHさまもそう。
そして、まさに、micみきちゃんは少年そのもののひとだ。
純粋で、汚れてなくって、まっしろ。



繰り返すけど、少女と少年とどちらがいい、とか、優れている、とかのおはなしではないの。

ただ、少年の瞳が映し出すものはまっしろな、ほんとうにうつくしい風景だ。
あるいは、まっさおな空、希望そのもののあさひ。
ただただ、他になにも考える余裕さえ、憂える暇さえ、与えられない、圧倒的にうつくしい海や空や、風や潮。
あぁ、もう、そのうつくしさだけでいい。
それだけでいい。



micの写真のすばらしさ、すてきさ。

それは少年の瞳で切り取ったただもう圧倒的に壮大な風景のうつくしさ。
そして、それを撮っているひとの純粋さ、だとおもう。

少女のしゃしんは、少女のせかいのなかに、その風景があり、
少年のしゃしんは広大なせかいのなかの一瞬の風景を切り取る。
少女は秘密の花園のようなあまいじぶんのせかいのなかを佇み、
少年はひろくあおいせかいじゅうを旅したい、と夢見る。
どちらがいい、わるいではない。
どちらもうつくしい。

ただ。

生きている、何歳のときでもいい。
確かに確りと、少女であったり、少年であったひとはうつくしい。
確りと、じぶんのなかの少女や少年を確認したひとだけが
美しく大人になれるのだ、とおもう。



そして、わたしは,
わたしにとって可愛い妹(娘?いや、やっぱり妹!年齢差は関係ない!)のmicとおしゃべりしながら、
いつもおもうのです。
この妹ちゃんは、ずっとず~~っと少年でありつづけるだろうなぁ、って。
腕いっぱいの夢とか希望とか、大志を抱いて、
ずぅっと少年のまま、ピュアでいるんだろうなぁ、って。
うれしく、誇らしく、愛しく、
そうおもう。



いや、micがジャニーズ系のお顔をしてるから、ってそういうはなしではなくって!笑



でもね、ここだけのはなし、みきちゃんはちょっとだけ、三浦春馬くんっぽい。(よね!??)



micの写真展。すてきです。



1月はもうご予約いっぱいになりましたけど、
2月のご予約受付中です。お早めにご連絡くださいませね。



あおいそら、あおいうみべのmariaco です。

あそびにきてね。まってるね。

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